なぜ犬は、興奮すると言うことを聞かないのか

犬が興奮すると言うことを聞かない。それは「わがまま」ではありません。

向こうから犬が歩いてくるのが見えた瞬間。玄関のチャイムが鳴った瞬間。ドッグランのゲートが開いた瞬間。

家の中では完璧に「おすわり」ができる愛犬が、名前を呼んでも振り向きません。リードを引く力は強くなるし、こちらの声もだんだん大きくなって、気づくと周りの視線が気になって、逃げるようにその場を離れる。

犬と暮らしている方なら、一度は覚えのある光景ではないでしょうか。

そして、その直後に胸に浮かぶ気持ちも、たいてい似ています。

うちの子、わがままなんです

トレーニングのご相談をお受けしていると、初回にみなさんが口にされる言葉は、驚くほど共通しています。

「うちの子、わがままなんです」

「私、なめられてるんでしょうか」

「しつけ方が悪かったんだと思います」

「わざとやってる気がして」

言葉は違っても、根っこにある気持ちは同じです。できるはずのことを、やってくれない。その感覚から、戸惑いと焦りが生まれます。

やっかいなのは、周りに人がいるときです。

他の飼い主さんが悠々と愛犬を歩かせている横で、自分だけが必死にリードを引いている。「ちゃんとしつけていない人」に見えているのではないか。そう思った瞬間、犬の行動そのものよりも、見られていることのほうがつらくなります。

そして気持ちの矛先は、たいてい自分にも向かいます。「私の向き合い方が足りないんだ」「この子を幸せにできていないのかもしれない」。犬のことを真剣に考えている人ほど、自分を責める材料を見つけてしまうのです。

もうひとつ、口に出しづらい気持ちがあります。

それは「かわいいはずなのに、あの瞬間だけは、少しだけ嫌だと思ってしまう」という気持ちです。

そして後から、そう感じてしまった自分を責めてしまう。僕自身の経験談ですし、同じように打ち明けてくださる方が多くいらっしゃいます。

まず強くお伝えしたいのは、それは薄情でも愛情不足でもない!ということです。

うまくいかない状況が続けば、誰でもそうなります。むしろ、その気持ちに気づいて後ろめたく思える時点で、十分すぎるほど愛犬に向き合っています。

悩んでいるのはあなただけでもありませんし、僕もそうでした。
2025年に犬の飼い主200名を対象に行われた調査では、8割を超える人が「しつけに悩んだことがある」と答えています。うまくいかないことがあるのは、珍しいことではなく標準なのです。

(株式会社ゆずず「コノコトトモニ」による犬の飼い主200名への調査(2025年4月24日)。悩みの上位は1位 吠え/2位 トイレ/3位 噛み癖)

「聞かない」のではなく、「聞こえていない」

結論を言ってしまえば、興奮した犬が指示に応えられないのは、わがままだからでも、反抗しているからでも、あなたを軽く見ているからでもありません。(余談ですが、飼い主と犬の関係を「順位」で捉える考え方は、いまの行動学ではほとんど支持されていません。)

そのとき起きているのは、もっと単純なことです。

指示を受け取って、意味を理解して、体を動かす。この一連の作業が、一時的にできなくなっている。

つまり「聞かない」のではなく、「聞こえていない」に近い状態です。

目の前で急ブレーキの音がしたとき

私たち自身に置き換えてみます。

道を歩いていたら、すぐ目の前で車が急ブレーキをかけた。タイヤの音が響いて、思わず足が止まる。
その瞬間に、隣の人から「7かける6は?」と聞かれたとします。

答えを知っているはずの問題ですが、それでも、すっとは出てきません。

このとき、計算する能力が消えたわけではありません。答える気がないわけでもない。ただ、頭のなかが全部ブレーキ音に向いていて、暗算に回す余裕がないだけです。

落ち着いてから同じ問題を出されれば、ちゃんと答えられます。

興奮している犬に「おすわり」と言うのは、これとかなり近いのです。

「おすわり」を知らないわけではない。やりたくないわけでもない。ただ、その言葉を処理する余裕が、いまはない。それだけなのです。

犬が強く興奮すると、体は「今すぐ動くための状態」に切り替わります。アドレナリンが出て、心拍が上がり、意識は目の前の対象に集中する。落ち着いて考えるための働きは、このとき後回しにされます。

「さっきまでできていたのに」の正体

犬のトレーニングには、閾値(いきち)という言葉があります。

その犬が「ここまでの刺激なら、まだ落ち着いて考えていられる」という限界のことです。

閾値の内側にいるうちは、指示は届きます。名前を呼べば振り向くし、おやつも食べられるし、こちらの様子をうかがう余裕もあります。ところが閾値を越えたとたん、反応が変わります。名前は届かない。大好きなおやつを鼻先に出しても、見向きもしない。

閾値を考える上でいちばんわかりやすいのは距離です。

向こうから犬が歩いてくるとき、30メートル先なら平気なのに、5メートルまで近づいた瞬間にスイッチが入る。犬も相手も同じで、変わったのは距離だけです。このとき越えたものが、閾値です。

その閾値の位置は固定ではありません

疲れている日。寝足りていない日。家を出る前にチャイムが鳴って吠えてしまった日。そういう日は閾値が下がります。つまり、いつもなら平気な距離でも、興奮してしまうのです。

だから「昨日は同じ場所で平気だったのに、今日はダメだった」ということが起こります。

そのムラの多くは、愛犬の気まぐれでも、あなたの接し方がブレたせいでもありません。昨日と今日で、閾値の位置が違っただけなのです。

だから、叱ってもうまくいかない

では「叱る」とどうなるのでしょうか。

大きな声を出す。強くリードを引く。体を押さえつける。

これらはすべて、犬にとってはさらに強い刺激です。すでに閾値を越えている犬に刺激を足せば、興奮はもっと上がるか、あるいは恐怖に変わります。

その場は止まったように見えるかもしれません。でもそれは「学習」したのではありません。ですから、次の機会にはまた同じことが繰り返されます。

もう一つは、「他の犬を見る」→「興奮する」→「叱られる」が繰り返されると、愛犬にとって他の犬は、叱られる合図になり、他の犬はさらに警戒すべき相手に変わってしまうので、問題がより複雑になってしまいます。

もし今日、ひとつだけ試すなら

興奮が上がりきる前に動く

「興奮してから落ち着かせる」のは、いちばん難しいタイミングです。

犬が相手に気づいた瞬間(耳が向いた瞬間、体が少し固まった瞬間)で、まだ閾値の内側にいるうちに、距離を取る、向きを変える、名前を呼んで意識を自分に向ける。こういった予防的な対処をしてみましょう。ことが起きてから対処するよりずっと簡単です。

興奮した日は、意図的に休ませる

強く興奮した直後は「すぐに閾値を超えてしまいます」。そういう日は、静かに過ごす、しっかり眠らせる(睡眠の邪魔をしない)、というように意図的に休息の時間をとるようにしましょう。休むことも、トレーニングの一部です。

それでも、答えはその子ごとに違います

ひとくちに「興奮」と言っても、その中身は犬によってまったく違います。

嬉しくてたまらない興奮もあれば、不安で落ち着けない興奮もある。見た目はどちらも「吠える・引っ張る・飛びつく」で、驚くほどよく似ています。

でも中身が違えば、有効なトレーニングは変わります。

嬉しくて興奮している犬に効く方法が、不安で興奮している犬には逆効果になってしまいます。

ですから、ネットで見つけた方法を試してうまくいかなかったとしても、それはその方法が、愛犬に向いていなかっただけかもしれません。

僕はご相談をお受けするとき、最初にテクニックをお教えすることはしません。

初めに絶対必要なことは、その子の閾値がいまどこにあるのか、何がその子を興奮させているのかを、一緒に見極め整理し知ることです。

最後に

愛犬が言うことを聞かない瞬間、飼い主さんは「自分が試されている」ように感じます。

でも、そうではありません。

あの瞬間に起きているのは、あなたと愛犬の関係の失敗ではなく、一頭の犬が、処理しきれない状況のなかにいる、というだけのことです。

そう受け取り直せると不思議なもので、その変化は、リードを通して愛犬にも伝わります。

もしいま、「うちの子だけがおかしいのでは」と感じているなら、一度ご相談ください。

うまくいっていないことを責められるような場ではありませんので、ご安心ください。

次へ
次へ

犬のターゲットトレーニングは、一発芸ではなく暮らしを助ける基本スキルです